おもしろ地図を広げよう!
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高橋名人がBlogで自分の思いを述べられていました。
Wiiのゲームですけど、とある雑誌では、私と違う意見でゲームの意見を述べているところがあります。その意見は立派なのかもしれません。
確かにTVゲームとしての完成度だけに対して意見を言うことは、必要なのかもしれませんが、遊びのひとつとしてのTVゲームの意見は、もっとそのゲームを遊ぶ年齢や環境、そしてそのゲームが目指している遊びを考えなければいけないと思うのですよ。
今までにも、私は何回か言っていますが、いままでのゲーム業界が目指していたのは、ピラミッドの頂点であって、しかし実はもっと目指さなければいけないのは、ピラミッドの中腹から底辺に近いところにいるユーザーなのです。
テクニック重視のゲームも、もちろん必要かもしれませんが、そのピラミッドの中腹に居られる方にとって大事なのは、そのゲームが面白いという意見が直感的に出てくることだと思います
遊べるというのは、ゲームの完成度ではなく、それが直感的に遊べるかどうかだと思うのです。
高橋名人は以前より、「TVゲーム」を『遊び』という言葉で表現されていましたが、「Wii」という一つの次世代ゲームを語るに当たって全く違った捕らえ方をされている雑誌があったことに落胆しているご様子でした。
『TVゲーム』と『遊び』の関係については、かなり以前から議論されてきました。しかしながら、その考え方や目標とするもの理想などはもちろん、一つの出来事や作品に対する感じ方も人によって異なってしまうため、どうしてもまとまらないのですよね。でも、それはまとまらなくて当たり前だと思うのですよ。「ゲーム」という言葉自体が非常にマクロ的な捕らえ方であるため、細かい理想を語るのには適していない言葉なのですよね。
『ゲーム論』と言う言葉があります。
「ゲームとはなにか」について掘り下げて考えていく事ですね。ゲームというとどうしても「TVゲーム」を第一にイメージして考えがちですが、トランプなどの「カードゲーム」もあるし双六などの「ボードゲーム」もあります。これらはすべて「ゲーム」です。では、「ゲーム」とは何なのでしょうかね。
私が最も解りやすく表現されていると思ったサイトがありましたので紹介します。
ボードウォーク・コミュニティーさんの「ゲームとは何か」の項目です。
こちらでは、ゲームを「遊戯(game)」と表現した上で、遊戯が「遊び(play)」「玩具(toy)」「競技(competition)」「スポーツ(sports)」「文化(culture)」とどう違うのかを解りやすくまとめられています。また、「遊戯(game)」という言葉がこれらすべてを抱擁した意味を持つと言う事も伝わってきます。つまり、ゲームと言う言葉では理想を表現し、それを相手に伝える事は難しいのですよ。
話を戻しますと、「TVゲーム」もまた遊戯をする為の道具ということであり、『遊び』を得ることこそが目的なんですよね。、『遊び』とは、「楽しむ」「娯楽」「休養」「リラックス」「ストレス (生体)解消」などの目的で生物がする行動の総称をさします。
休日に映画を見てリラックスする人も居れば、外へ買い物へ出かけてストレス解消する人も居るでしょうし、競馬やパチンコなどの勝負事や、サッカーや野球などのスポーツをされる方もいるかと思います。TVゲームもその一つなんですよね。
まとめますと、技術革新による成長は大切ですし、新作は旧作よりも優れたものでなければユーザーは付いてこないと思います。でも、そこには映画のような優れたストーリー性の作品や美しい表現力を持ったものがあっても良いと思うし、「遊び」の面をとことん追及したものが在っても良いと思います。
『可能性』がたくさん秘められていているからこそ、人それぞれの主観によって同じモノの評価をしても全く違うイメージが生まれるのではないでしょうか。「ゲーム」という枠で画一的に捕らえないで、それを「どう楽しむか」という目的こそが大切なのではないかなと思った次第でありますよ。それを相手に伝える為に、どう表現すれば良いかというのは難しいですね。
今回のお話は、その雑誌の編集のかたは「Wii」が旧ハードより優れている点に集中して表現し過ぎてしまったために、「Wii」の楽しみ方などが伝わりにくかったのでしょうね。多くの人が目にする情報だからこそ、「遊び」の可能性についても触れておくべきだったのかもしれませんね。たった一つの情報だけを信じてしまう人も多いのも事実ですから…
本来「娯楽」として楽しむべき「TVゲーム」が、「ゲーム脳」やら言われて社会問題になったりしてる事が悲しいファミコン世代のお話。
Wiiのゲームですけど、とある雑誌では、私と違う意見でゲームの意見を述べているところがあります。その意見は立派なのかもしれません。
確かにTVゲームとしての完成度だけに対して意見を言うことは、必要なのかもしれませんが、遊びのひとつとしてのTVゲームの意見は、もっとそのゲームを遊ぶ年齢や環境、そしてそのゲームが目指している遊びを考えなければいけないと思うのですよ。
今までにも、私は何回か言っていますが、いままでのゲーム業界が目指していたのは、ピラミッドの頂点であって、しかし実はもっと目指さなければいけないのは、ピラミッドの中腹から底辺に近いところにいるユーザーなのです。
テクニック重視のゲームも、もちろん必要かもしれませんが、そのピラミッドの中腹に居られる方にとって大事なのは、そのゲームが面白いという意見が直感的に出てくることだと思います
遊べるというのは、ゲームの完成度ではなく、それが直感的に遊べるかどうかだと思うのです。
高橋名人は以前より、「TVゲーム」を『遊び』という言葉で表現されていましたが、「Wii」という一つの次世代ゲームを語るに当たって全く違った捕らえ方をされている雑誌があったことに落胆しているご様子でした。
『TVゲーム』と『遊び』の関係については、かなり以前から議論されてきました。しかしながら、その考え方や目標とするもの理想などはもちろん、一つの出来事や作品に対する感じ方も人によって異なってしまうため、どうしてもまとまらないのですよね。でも、それはまとまらなくて当たり前だと思うのですよ。「ゲーム」という言葉自体が非常にマクロ的な捕らえ方であるため、細かい理想を語るのには適していない言葉なのですよね。
『ゲーム論』と言う言葉があります。
「ゲームとはなにか」について掘り下げて考えていく事ですね。ゲームというとどうしても「TVゲーム」を第一にイメージして考えがちですが、トランプなどの「カードゲーム」もあるし双六などの「ボードゲーム」もあります。これらはすべて「ゲーム」です。では、「ゲーム」とは何なのでしょうかね。
私が最も解りやすく表現されていると思ったサイトがありましたので紹介します。
ボードウォーク・コミュニティーさんの「ゲームとは何か」の項目です。
こちらでは、ゲームを「遊戯(game)」と表現した上で、遊戯が「遊び(play)」「玩具(toy)」「競技(competition)」「スポーツ(sports)」「文化(culture)」とどう違うのかを解りやすくまとめられています。また、「遊戯(game)」という言葉がこれらすべてを抱擁した意味を持つと言う事も伝わってきます。つまり、ゲームと言う言葉では理想を表現し、それを相手に伝える事は難しいのですよ。
話を戻しますと、「TVゲーム」もまた遊戯をする為の道具ということであり、『遊び』を得ることこそが目的なんですよね。、『遊び』とは、「楽しむ」「娯楽」「休養」「リラックス」「ストレス (生体)解消」などの目的で生物がする行動の総称をさします。
休日に映画を見てリラックスする人も居れば、外へ買い物へ出かけてストレス解消する人も居るでしょうし、競馬やパチンコなどの勝負事や、サッカーや野球などのスポーツをされる方もいるかと思います。TVゲームもその一つなんですよね。
まとめますと、技術革新による成長は大切ですし、新作は旧作よりも優れたものでなければユーザーは付いてこないと思います。でも、そこには映画のような優れたストーリー性の作品や美しい表現力を持ったものがあっても良いと思うし、「遊び」の面をとことん追及したものが在っても良いと思います。
『可能性』がたくさん秘められていているからこそ、人それぞれの主観によって同じモノの評価をしても全く違うイメージが生まれるのではないでしょうか。「ゲーム」という枠で画一的に捕らえないで、それを「どう楽しむか」という目的こそが大切なのではないかなと思った次第でありますよ。それを相手に伝える為に、どう表現すれば良いかというのは難しいですね。
今回のお話は、その雑誌の編集のかたは「Wii」が旧ハードより優れている点に集中して表現し過ぎてしまったために、「Wii」の楽しみ方などが伝わりにくかったのでしょうね。多くの人が目にする情報だからこそ、「遊び」の可能性についても触れておくべきだったのかもしれませんね。たった一つの情報だけを信じてしまう人も多いのも事実ですから…
本来「娯楽」として楽しむべき「TVゲーム」が、「ゲーム脳」やら言われて社会問題になったりしてる事が悲しいファミコン世代のお話。
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