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高橋名人の職位が『名人』になったらしいですよ。
以下、高橋名人公式BLOG『16連射のつぶやき』より
ところで、私ごとになりますが、昨日付で人事発令を受けまして…
今までは、名人とは言っても、敬称や称号のようなものであったのですが、これからは役職として「名人」ということになりました。(笑
つまり、「高橋課長」とか、「高橋部長」というのと同じように、「高橋名人」となったのです。
日本広しといえど、『名人』の職位を持つのに相応しい人物として「高橋名人」を超える人物はいないのではないでしょうか。某将棋の棋士の方で有名な名人もいましたが、棋士は年季や勝敗で位がかわっていきますから、『名人』という呼び名であり続けるということは早々有りません。とはいえ、『名人』を役職にしてしまうとはハドソンと言う企業は計り知れないですね。役職名や資格名の一部を、その企業独自の呼び方にする事はありますが、『名人』というのは始めて聞きましたよ。
そういう意味では、一企業の枠や常識にとらわれない人物だからこそ『名人』という職位が相応しいと思われたのかもしれないですね。
Blogでこのニュースをとりあげる事からも解るように、私は『高橋名人』の熱狂的なファンなのですよね。その歴史20年ですよ。
高橋名人が活躍し始めたのは、1985年頃のファミコンがようやくちびっ子達に身近なものになり始めたころなのですよね。私はといえば、当時5歳ですよ。父が珍しいもの好きだったため、家にはファミコンがあって良くやってましたね。私のゲーム人生はそこから始まりました。幼少の頃からのゲーム少年だった私にとって、高橋名人はうまれてはじめてあこがれたヒーローだったのですよ。
生まれて初めて応募した懸賞が、「Bugってハニーソーセージ」でした。なんか金色に輝くメダルみたいなのが贈られてきましたよ。
小学生時代は、ファミコンばっかりやってましたね。スーパーファミコンが出ても、ファミコン少年でしたよ。コロコロコミックを友達から借りて読んでいたので、ハドソンのキャラバンの存在はその頃から知っていました。でも子供過ぎて一人での参加は出来なかったのですよね。田舎の小市民なので、札幌のそごうデパートや丸井今井デパートの屋上にたどり着く事は不可能だったのですよ。友達を集めようにも私と志が近い友人は当時はあまりいなかったのですよね。
私がキャラバンに参加できたのは、中学生になってからでした。そのときは、『ボンバーマン’93』がベースでいろんなPCエンジンキャラが活躍する「HI-TEN キャラBOM」でしたね。
以前の日記にも書きましたが、大会では予選優勝と健闘したものの本戦で小学生無敵ルールに敗れたという苦い思い出もありました。でも、あの時一番残念だったのが、高橋名人に会えなかった事ですね。高橋名人は当日は、同時開催だった南の方の会場に参加していたらしいのですよね。私の生涯で唯一生の名人に会えるかもしれないチャンスだっただけに少し心残りではありますね。
高校時代は中々接点が無かったものの、丁度この頃インターネットが普及し始めた頃で、いろいろ調べてみると私以外にもたくさんの名人のファンがいることを知ることが出来たのが何よりも嬉しかったですね。
ファミコン少年団さんのサイトを見たときは感動しましたよ。ほんとに。
その後も、地元「北海道新聞」に何度か取り上げられた時も、「Bugってナイト」のときも、当然のようにチェックしてましたよ。名人のBlogが出来た時もいち早く見つけて現在も毎日拝見させていただいてます。最近では音楽番組に出たり、なぜか街頭インタビューされたりしてますね。
これまでいろいろな人と、名人についてお話して来ましたが世間のイメージとして河合一慶さんの漫画や、「高橋名人がボタンにばねを仕込んで連射速度を捏造し、警察に逮捕された」という都市伝説が強い影響を与えていた事には驚きましたね。名人を良く知らない人の認識はこんな感じなんですよ、実際。
あれから20年もの月日が経ち、高橋名人が『名人』たる理由を語れない現代人がほとんどというのが現状です。「ゲームは一日一時間」といった人とか、16連射の人とか間違ってはいませんがそれだけで人は「伝説」にはなりませんよ。あの頃、少年達がなぜ「名人」にあこがれたのか、その『魂』がこれからのゲーム業界に継承される事を祈ります。
ゲームの「楽しみ方」に対する考え方が、大きく二分しているというのが現在のゲーム業界の流れなのではないかと思います。その内容についてはあえて語りませんが、ゲーム業界しいては日本の社会を支えている30代20代がまさに「名人」をみて少年時代を迎えた世代なのですよね。考え方は人それぞれですが、私はこう考えると嬉しくなるのですよ。
「RUNNER」は高橋名人の名曲の一つですね。
私にとって高橋名人は永遠のヒーローです。
これからも生涯応援し続けていきますよ。(`・ω・´)
懐かしの16連打 高橋名人特集
以下、高橋名人公式BLOG『16連射のつぶやき』より
ところで、私ごとになりますが、昨日付で人事発令を受けまして…
今までは、名人とは言っても、敬称や称号のようなものであったのですが、これからは役職として「名人」ということになりました。(笑
つまり、「高橋課長」とか、「高橋部長」というのと同じように、「高橋名人」となったのです。
日本広しといえど、『名人』の職位を持つのに相応しい人物として「高橋名人」を超える人物はいないのではないでしょうか。某将棋の棋士の方で有名な名人もいましたが、棋士は年季や勝敗で位がかわっていきますから、『名人』という呼び名であり続けるということは早々有りません。とはいえ、『名人』を役職にしてしまうとはハドソンと言う企業は計り知れないですね。役職名や資格名の一部を、その企業独自の呼び方にする事はありますが、『名人』というのは始めて聞きましたよ。
そういう意味では、一企業の枠や常識にとらわれない人物だからこそ『名人』という職位が相応しいと思われたのかもしれないですね。
Blogでこのニュースをとりあげる事からも解るように、私は『高橋名人』の熱狂的なファンなのですよね。その歴史20年ですよ。
高橋名人が活躍し始めたのは、1985年頃のファミコンがようやくちびっ子達に身近なものになり始めたころなのですよね。私はといえば、当時5歳ですよ。父が珍しいもの好きだったため、家にはファミコンがあって良くやってましたね。私のゲーム人生はそこから始まりました。幼少の頃からのゲーム少年だった私にとって、高橋名人はうまれてはじめてあこがれたヒーローだったのですよ。
生まれて初めて応募した懸賞が、「Bugってハニーソーセージ」でした。なんか金色に輝くメダルみたいなのが贈られてきましたよ。
小学生時代は、ファミコンばっかりやってましたね。スーパーファミコンが出ても、ファミコン少年でしたよ。コロコロコミックを友達から借りて読んでいたので、ハドソンのキャラバンの存在はその頃から知っていました。でも子供過ぎて一人での参加は出来なかったのですよね。田舎の小市民なので、札幌のそごうデパートや丸井今井デパートの屋上にたどり着く事は不可能だったのですよ。友達を集めようにも私と志が近い友人は当時はあまりいなかったのですよね。
私がキャラバンに参加できたのは、中学生になってからでした。そのときは、『ボンバーマン’93』がベースでいろんなPCエンジンキャラが活躍する「HI-TEN キャラBOM」でしたね。
以前の日記にも書きましたが、大会では予選優勝と健闘したものの本戦で小学生無敵ルールに敗れたという苦い思い出もありました。でも、あの時一番残念だったのが、高橋名人に会えなかった事ですね。高橋名人は当日は、同時開催だった南の方の会場に参加していたらしいのですよね。私の生涯で唯一生の名人に会えるかもしれないチャンスだっただけに少し心残りではありますね。
高校時代は中々接点が無かったものの、丁度この頃インターネットが普及し始めた頃で、いろいろ調べてみると私以外にもたくさんの名人のファンがいることを知ることが出来たのが何よりも嬉しかったですね。
ファミコン少年団さんのサイトを見たときは感動しましたよ。ほんとに。
その後も、地元「北海道新聞」に何度か取り上げられた時も、「Bugってナイト」のときも、当然のようにチェックしてましたよ。名人のBlogが出来た時もいち早く見つけて現在も毎日拝見させていただいてます。最近では音楽番組に出たり、なぜか街頭インタビューされたりしてますね。
これまでいろいろな人と、名人についてお話して来ましたが世間のイメージとして河合一慶さんの漫画や、「高橋名人がボタンにばねを仕込んで連射速度を捏造し、警察に逮捕された」という都市伝説が強い影響を与えていた事には驚きましたね。名人を良く知らない人の認識はこんな感じなんですよ、実際。
あれから20年もの月日が経ち、高橋名人が『名人』たる理由を語れない現代人がほとんどというのが現状です。「ゲームは一日一時間」といった人とか、16連射の人とか間違ってはいませんがそれだけで人は「伝説」にはなりませんよ。あの頃、少年達がなぜ「名人」にあこがれたのか、その『魂』がこれからのゲーム業界に継承される事を祈ります。
ゲームの「楽しみ方」に対する考え方が、大きく二分しているというのが現在のゲーム業界の流れなのではないかと思います。その内容についてはあえて語りませんが、ゲーム業界しいては日本の社会を支えている30代20代がまさに「名人」をみて少年時代を迎えた世代なのですよね。考え方は人それぞれですが、私はこう考えると嬉しくなるのですよ。
「RUNNER」は高橋名人の名曲の一つですね。
私にとって高橋名人は永遠のヒーローです。
これからも生涯応援し続けていきますよ。(`・ω・´)
懐かしの16連打 高橋名人特集
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